|
ロッキード L-10 エレクトラ(Lockheed L-10 Electra)とは、アメリカ合衆国の航空機メーカーであったロッキードが、ダグラス・エアクラフトのDC-2やボーイング社のボーイング247に対抗するために開発した全金属単葉のレシプロ双発民間旅客機である。 == 概要 == ロッキードL-10(以下、エレクトラ)は、ロッキード(子会社のロッキード・デトロイトでは、ロッキード・オリオンのように金属製の機体が一部製造されていた)で最初に開発された全金属単葉の近代的旅客機であった。なお、エレクトラとはプレアデス星団にある星の名から取られている。これはロッキードの機体の愛称は星の名が付けられていた為である。 エレクトラの風洞実験はミシガン大学で行われたが、この時学生として立会い、後にロッキードに入社しスカンクワークスを率いたケリー・ジョンソンがいた。また彼はエレクトラの設計に大きな影響を与えた。エレクトラは1934年2月23日に初飛行した。 エレクトラの機体を操縦した著名人にアメリカの女性飛行士のアメリア・イアハートがいる。彼女は1937年7月に世界一周飛行のためにエレクトラに搭乗していた際に南太平洋で消息を絶った。 また、1936年には日本海軍が双発練習機の参考実験機として1機を輸入し、ロッキード・エレクトラ飛行機(略符号KXL1)と称した〔野沢正 『日本航空機総集 輸入機篇』 出版協同社、1972年、142頁。。〕。 第二次世界大戦では、民間で運用されていたエレクトラはアメリカ陸軍航空隊に徴用され、制式名"C-36"として運用された。しかしながら、大戦中に輸送機の技術革新が進行したため、大戦末期にはエレクトラは時代遅れの旧式に落ちぶれていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ロッキード L-10 エレクトラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|